food
食物はなんとしても「美味く」あって欲しい。美味くなくてはよろこびというものがない。美味いものを食うと、人間誰しも機嫌がよくなる。必ずニコニコする。これが健康をつくる源になっているようだ。 美食を要求しているものは、口であるように思っているけれども、実は肉体の全部が連合して要求しているらしい。どうもそう考えられる。心というものも、その中の一員であって、常によろこびを理想としている。この心さえ楽しんでくれれば、他に少々間違いがあっても、打ち消されてしまうようである。 カロリーだ、ビタミンだと言ってみても、人間成人して、自由を知った者は、必ずしも心のよろこびとしては受け取らない。まず自分の好きなもの、好む食物でなくては、いかに名高い食物であっても、充分の栄養にはならないであろう。だから、他人がいかに「美味い」と言っても、自分が好まなければ、なんの価値もないのである。 他人が愛飲する酒の如きは、人によって天の美禄でもあり、百薬の長ともなるが、好まざる者には無価値である。煙草などもその一例であって、好まざる者には全くの無価値である。否、害毒となって健康をそこねるであろう。 人間一生涯好きな物ばかりで、三度三度の食事を楽しんだら、誰しも文句はないはずである。にもかかわらず、大抵は欲する美食とは縁遠い雑物を食事として堪え忍んでいるというのが、実際の生活になっている。あるいは無神経なるが故に、無頓着に過ごしている。そのいずれかである。Picking up nails after fire
chiou
この地方の人が、たい網のたいを食って「明石だいよりはるかに美味い」と誇って関西人を怒らしたと言うが、その自慢もあながち否認できない。 どういうわけで、北陸にこんな美味いたいが、この季節に獲れるかと不思議に思ったが、ようやくそのわけがわかった。つまり、四、五月という時節は、本場の明石だいはもとより美味いときなので、それらをいろいろ思い合わせてみて、たいが玄海灘を越えてくるということは、岩礁や島嶼が蜂の巣のように存在する朝鮮南端に発育することだ。その巣窟をば、彼らは産卵、あるいはなにかの作用で大部分が東方日本の方へ向かって遊弋し、その途次、すなわち玄海灘を押し切って東漸し、大多数が瀬戸内海に入り、または九州、土佐あたりへも分れる。なお他の一部が同時に裏日本へもまわってきて、ふだんは影だに留めないものが、その産卵期だけ、たい網に入るのだろう。それで朝鮮南端、瀬戸内海、北陸、山陰、みなこの季節は同じ滋味を有しているのではないか。 毎年、北陸のほうでは、この優れたまだいを秋までかかって獲り尽すが、なお獲り洩れがあって、季節外にまだいがないわけではないが、すこぶる不味い。あるにはあっても、それはすなわち長汀白砂、岩礁少なく、好餌の乏しい関係と、生殖の関係などで、タネはいいものの、たいも生活状況の変調のために漸次不味いものとなり終っているようだ。 自分は今一度、朝鮮にそのたいを食いに行ってみたいと思っている。順天・馬山あたりのものは実に忘れがたい。 ふつう一般には朝鮮だいと言うと、トロール船漁でうすっぺらな赤さをした不味いものという概念のみあって、ついにその朝鮮にべらぼうによいたいが獲れるというようなことは聞かなかったが、バカにはならない。 (昭和七年) Picking up nails after fire
SEOtaisaku
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