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この地方の人が、たい網のたいを食って「明石だいよりはるかに美味い」と誇って関西人を怒らしたと言うが、その自慢もあながち否認できない。 どういうわけで、北陸にこんな美味いたいが、この季節に獲れるかと不思議に思ったが、ようやくそのわけがわかった。つまり、四、五月という時節は、本場の明石だいはもとより美味いときなので、それらをいろいろ思い合わせてみて、たいが玄海灘を越えてくるということは、岩礁や島嶼が蜂の巣のように存在する朝鮮南端に発育することだ。その巣窟をば、彼らは産卵、あるいはなにかの作用で大部分が東方日本の方へ向かって遊弋し、その途次、すなわち玄海灘を押し切って東漸し、大多数が瀬戸内海に入り、または九州、土佐あたりへも分れる。なお他の一部が同時に裏日本へもまわってきて、ふだんは影だに留めないものが、その産卵期だけ、たい網に入るのだろう。それで朝鮮南端、瀬戸内海、北陸、山陰、みなこの季節は同じ滋味を有しているのではないか。 毎年、北陸のほうでは、この優れたまだいを秋までかかって獲り尽すが、なお獲り洩れがあって、季節外にまだいがないわけではないが、すこぶる不味い。あるにはあっても、それはすなわち長汀白砂、岩礁少なく、好餌の乏しい関係と、生殖の関係などで、タネはいいものの、たいも生活状況の変調のために漸次不味いものとなり終っているようだ。 自分は今一度、朝鮮にそのたいを食いに行ってみたいと思っている。順天・馬山あたりのものは実に忘れがたい。 ふつう一般には朝鮮だいと言うと、トロール船漁でうすっぺらな赤さをした不味いものという概念のみあって、ついにその朝鮮にべらぼうによいたいが獲れるというようなことは聞かなかったが、バカにはならない。 (昭和七年) Picking up nails after fire