food
食物はなんとしても「美味く」あって欲しい。美味くなくてはよろこびというものがない。美味いものを食うと、人間誰しも機嫌がよくなる。必ずニコニコする。これが健康をつくる源になっているようだ。 美食を要求しているものは、口であるように思っているけれども、実は肉体の全部が連合して要求しているらしい。どうもそう考えられる。心というものも、その中の一員であって、常によろこびを理想としている。この心さえ楽しんでくれれば、他に少々間違いがあっても、打ち消されてしまうようである。 カロリーだ、ビタミンだと言ってみても、人間成人して、自由を知った者は、必ずしも心のよろこびとしては受け取らない。まず自分の好きなもの、好む食物でなくては、いかに名高い食物であっても、充分の栄養にはならないであろう。だから、他人がいかに「美味い」と言っても、自分が好まなければ、なんの価値もないのである。 他人が愛飲する酒の如きは、人によって天の美禄でもあり、百薬の長ともなるが、好まざる者には無価値である。煙草などもその一例であって、好まざる者には全くの無価値である。否、害毒となって健康をそこねるであろう。 人間一生涯好きな物ばかりで、三度三度の食事を楽しんだら、誰しも文句はないはずである。にもかかわらず、大抵は欲する美食とは縁遠い雑物を食事として堪え忍んでいるというのが、実際の生活になっている。あるいは無神経なるが故に、無頓着に過ごしている。そのいずれかである。Picking up nails after fire